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二百十九人の生命を救った女性
ベティ・ティスデイル夫人は世界的な英雄である。ベトナム戦争が激化した1975年に、陥落直前のサイゴンから孤児たちを救い出した。
その頃彼女は、当時夫だった小児科医の陸軍大佐が先妻との間にもうけた5人の子供を育てるかたわら、5人のベトナム人養女も引き取っていた。
彼女は貯金を全部おろして休暇のたびにベトナムを訪れ、病院や孤児院でボランティアとして働いた。
ある日ある孤児たちが、このままでは露頭に迷いかねないことを知って心を痛めた。
何かことが起きると放おっておけない性分の彼女は、孤児たちの窮状を聴き、さっそく行動を起こした。
まずベトナムのンガイ夫人に電話して、「必ずわたしがあの子たちを迎えにいって、全員に養子縁組を探しますから」と伝えた。
その強い意思は山をも動かしていくのである。
まず彼女はあらゆる手段で必要な資金を集めた。
数々の困難を奇跡的とも言えるやり方で一つ一つ乗り越えていく
最初の難問は、ベトナムの社会福祉局長が、10歳以下で、しかも出生証明書のある子供しか出国を許可しないと発表したことだった。戦災孤児がそんな証明書を持っているはずなかった。
そこで彼女は病院の小児科で証明書の用紙をもらい、該当する10歳以下の子どもたち219人分の出生年月日と時間、出生地を急いで書き込んでいった。
後に彼女は語る「子どもたちがいつ、どこで、誰から生まれたのか全く見当もつきませんでした。わたしの手が勝手に証明書を書き上げていったのです。」
出生証明書は安全にその地を離れ自由で未来ある生活を得るための、ただ一つの頼みの綱だった。しかも、その時揃わなければもう二度とチャンスはなかった。
次はベトナム脱出後に、孤児たちを受け入れてもらう場所を確保しなくてはならない。軍事局は難色を示した、いくら電話しても司法官がつかまらないので、陸軍書記官の事務所に電話しが、応じることではなかった。
彼女は書記官が同じ州の出身地だということに目をつけ、彼の母親に電話して窮状を訴え、何とか協力してもらえるよう頼み込んだ。
この説得は功を奏し、翌朝には息子の陸軍書記官からある学校の一つを孤児たちの仮の宿に手配したと返事があった。
まだ孤児たちをどうやって出国させるのかの問題が残っていた。
彼女はベトナム駐在大使に会いに行き、孤児たちを何とかして国外に連れ出してくれるよう懇願した。それ以前にも飛行機をチャーターしようとしたが、保険料が高くて交渉がまとまらないでいた。大使は書類がベトナム政府に受理されればアメリカ空軍機でフィイピンまで輸送できると言った。
すべての手続はベトナム社会福祉局長が乗客名簿に著名すると完了した。その時、孤児たちは無事二機の空軍機に乗り込んでいる最中だった。
子どもたちは栄養失調で元気がなかった上、孤児院から一歩も出たことがなかったので、おびえていた。兵士やテレビ特派員たちがボランティアとしてこれらの子どもたちのめんどうをみた。
この219名の子どもたちが自由に向けて飛び立ったその素晴らしい土曜日のことを、ボランティアの人たちは一生忘れないだろう。自由への手助けをした喜びと感謝に誰もが涙ぐんだのだった。
米国に着いた孤児たちは、協会の計らいで、その月のうちに全員が無事引き取られていった。